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6、クソリプの避け方

スクリーンショット 2020-06-23 7.56.00

Twitterの拡散力ってすごい。

これまでマンガでいいねされた数って最高でもせいぜい5千くらいだったので、今回みたいなバズり方は正直全く予想できてなかった。

読まれる工夫とか伝え方への配慮はしたにしても、自分の経験を気軽にアウトプットする程度で描き始めたマンガだった。

だからRT・いいね・リプライが増えるにしたがって批判的な内容に責任感が増すようで、純粋に読んでもらえる母数が増えたことを喜ぶ反面、少し怖いくらいだった。

多分「保育園落ちた、日本死ね」の人も、めちゃくちゃ気楽に呟いた文が大事になってビビったんではなかろうか。

「バズった」と言える程度に拡散されてきてから怖くなったのは、どんな感想が来るだろうか、ということだった。

今回のnoteでは、もらった感想を読んでみて、感想を設計することの難しさについて考えたことを書く。


思ったより攻撃的な内容は少なかった!

せっかくのバズ体験だったので、引用RT、リプ、DMでもらった感想合計2000ほどを、流し読み程度ではあるけど大体読んだ。がんばった。

読んでみてとりあえずホッとしたのは、僕に対しての悪意満々のリプは割と少なかったことだった。

マンガの中で僕はかなり偉そうにしてるし、児童画展に思い入れある人は多少なりショックな内容だろうし、10分の1くらいが攻撃的な内容でも仕方ないかなと思っていた。

仕方ないとは思いつつも、そういう感想を読み続けるのは多分しんどいので不安だった。

・・・が、実際には、クソリプっぽいクソリプは多分10〜20程度しか無かった気がする。

1%以下くらいのノイズなので、そういうリプに対して僕が自分を責める必要はあんまり無い気がする。

ただ、予想に反してクソリプがあまりに少なかったので、何がよかったのか振り返るのは意味があるかもと考えた。


審査長、お前だったのか

クソリプの少なさについて考えるにあたって、逆に一番多かった感想はどんなだったかを振り返ってみる。

別に集計してないから細かくはわからないが、圧倒的に目についたのは2パターンあった。

1、自分の作品を、先生によって意図と違うように修正させられた経験

2、子供の作品を勝手に買えることへの嫌悪

結構みんな、賞に合わせて作品を意図と違うように変えられたことに対して嫌な思い出を抱いているらしかった。

多分このマンガがバズったのはそのことへの共感が一番の理由だと考えて良さそう。

児童画展20

つまりこの審査長に対するヘイトが共感を生んだらしい。

クソリプの異様な少なさも同じ理由だと推測される。

審査長へのヘイトが避雷針となり、僕やメッセージ性への嫌悪感を引き受けてくれたのだ。

審査会のバイトではマジで胸糞悪くなったが、ここに来て初めて感謝の気持ちが湧いた。

審査長、お前だったのか。マンガをバズらせ、クソリプを減らしてくれたのは。


ヘイトフル漫画でいいのか!?

そんなわけで初のマンガによるバズを経験できたわけだが、ここで真面目に考えないといけないことがある。

負の感情を伝染させてバズるってどうなの?問題だ。

そもそも、最初にこのマンガで伝えたかったことは、「美術教育の趣旨は児童画展でウケることじゃないんだから、学校は距離おいた方がいいでしょ」ってことだった。

でも感情体験としてのピークとして審査長の凶行を描いてしまったので、この伝えたい情報がヘイトに埋もれてしまった。

他にも、審査長の反動なのか、教育関係者と思しき方から「私の学校はこんなふうに指導してないです!全て自由に描かせています」みたいなリプも割とあった。

具体的に「自由に描かせている」のがどういう状態かはわからないが、授業の目的を明確にできていない、という意味では美術教育としてあんまりよくないはずなので、多分マンガのテーマは伝えられていなかったんだろうなと思う。

最初のメッセージを汲み取ってくれたと分かる感想をくれたのは、下手したらクソリプの数より少ないかもしれない。情報整理したnoteを読んでくれた人には伝わったかもしれんけども。


要するに、言いたいことを伝えるという意味ではこのマンガは結構失敗している。


しかもそれは、「メッセージ性を強くしすぎると説教臭くなって共感できんから、物語としては審査長のヘイトをクライマックスに持ってくるかぁ」という自分の判断によるものだ。

これはちょっと反省すべきかもしれない。

いい悪いは別にして、児童画展の価値を信じてた人はショックだっただろうし。

児童画展、美術教育の見直しへの視点も持たせられなかったとしたら、意図なく怒りを伝染させたことにしかならないのでは・・・?


それはそれとして

さっき書いたことは反省しつつ、うれしい感想もけっこうあった。

特に、「描いてよかった」と思えたのは、美術教育に関係のある方(教員をやってる人とか、僕と同じように児童画展の審査に参加したことがある学生とか)からの感想だった。

意訳すると、

「マジでこれと同じこと見てきた!胸糞悪かったけどどこにも言えんかったからこういうツイートがバズってうれしかった」

みたいな内容。

もちろん「全ての児童画展がこうじゃないですよ」って感想も結構もらったけど、それと同じくらいの数「マジ分かる」と言われた。

うれしかったのは、もちろん審査長の狂い具合に対しての嫌悪もあるけど、「それを批判できない主人公の葛藤」に共感してもらえた場合が多いことだった。

葛藤を代弁することで気持ちが楽になる人もいた、というのが僕にとってもかなり救いになった。

このマンガを描いたことは僕の自慰行為で終わらずに済んだ・・・のかもしれない。

よかった〜〜!!


次回に活かしたいこと

とりあえず、感想を意図した方向に設計するための工夫はもっとやらないといけないなと思った。

もちろん何を感じるかって人それぞれ違っていいわけだけど、なんというか、今回のは「作者の伝えたいことが明確だった上で、いろんな読み方がされた」というよりは、「作者の伝えたいことがブレていたんだから感想もそりゃズレるよ」って感じがした。

あとさっき書いたような、葛藤への共感で救われる、というのに興味が湧いた。

そういえば僕も、主人公が自己嫌悪に浸るシーンに共感できる作品はグッと好きになることが多かった。

自分の嫌なところに向き合わされているはずなのに、なんか不思議な気持ち良さがある。

次はそのあたりの感情をメインに描いてまたtwitterに載せてみたい。


おまけ:非公開にしてたnote

児童画展の一連のマンガは、まとめて投下するまで1日数ページずつ載せていっていて、そのときどきで感じたことを日記にしていた。

これは、その日記に寄せられた、「児童画展をバカにされて傷ついた(意訳)」という感想を読んで思ったことを書いたものだ。

ただ書いてみて、何となく性格悪そうな感じが滲み出てしまったので非公開にしていた。

だけどせっかくなので有料記事として最後に置いておこうと思う。

記事を買ってくれる人はある程度僕のことが好きで理解があるはずなので、そんなに衝動的に嫌いにはならないだろう、という予想。


実はこのマンガがバズったその日に彼女と分かれてしんどかったので、もし購入していただけたら、そのお金でいい肉を食べさせてもらいます。

以下、その記事です。

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『流れ星の正体を伝えるということ』


悩みというほどではないにしろ、「一般的にこれってどう見えるんやろう・・・」と考えていることがある。


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僕が有名になった後「秋野ひろは俺/私が育てた」と公言できるようになります。