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言葉に自分を合わせていくかっこよさ【『りさこのルール』感想】

僕は他人の言葉に惹かれやすい。

高校生のときなんかは誰かの気に入った言葉とか本に出てくるセリフをいちいちスマホのメモに溜めていて、あとで数えたら3万字を超えていたりした。

そういうふうに言葉をストックしていると、たまに役に立つことがある。

たとえば「お茶碗を割るのは洗う人だけ」という言葉は、何かで失敗した日に見返しては自分に言い聞かせることで気分が沈むのを抑えていた。

逆に、他人の言葉を安易に使ってしまうことによって、「あれはダサかったな」という行動をしたこともあった。

最近だと、児童画展の審査の仕組みを批判する内容のマンガを描いたことがあったのだが、その批判のほとんどを、教授の言葉の引用に任せていた。

こういうふうに「自分がどんなときに他人の言葉を借りるか」を考えてみると、思ってはいるけど、自分には言う資格が無いときではないかと思った。

児童画展マンガの場合は、不勉強な自分には言う資格が無い批判を、教授の言葉を使って行ったことになる。


つのだふむさん作、『りさこのルール』の主人公、園田は、そんなふうに他人の言葉に影響を受けやすく、特に冒頭ではそのせいでちょっとダサく見えるキャラクターだった。

僕は園田に大共感し、自分と似たダサさを持つ園田がどんなふうに成長するのかを楽しみに読み進めていた。

もちろん園田は1話ごとに少しずつ成長するのだが、その中でも12話の園田は最高にかっこいい。

自分と関わりのある女性を助けるために、ヤバい宗教団体に乗り込むことを決断する場面なのだが、その決断の仕方に惹かれた。

映画『TAXI DRIVER』の主人公、デニーロが、少女を救うためにヤクザに乗り込んだ場面に、今の自分を重ね合わせて奮い立たせるという方法だった。


最初に書いた通り、僕が他人の言葉を使うときは、自分がその言葉を使えるだけの行動をできていない場合だった。

12話の園田がしたのは、言ってみれば憧れた言葉を使えるような自分になるための覚悟で、今の僕が成長するために必要な行動はまさにこれだと感じた。

園田に共感していたからこそ、園田の成長はフィクションとして消費する以上に自分に刺さり、この場面以降『りさこのルール』がさらに大事な作品になった。

・・・・・

そんな『りさこのルール』はLINEマンガcakesで連載中、電子書籍の一巻も発売中なので、ぜひ読んでください。

感想をツイートしたりすると作者のふむさんがすごい喜んでくれます。




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秋野ひろ
僕が有名になった後「秋野ひろは俺/私が育てた」と公言できるようになります。

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