5、共感されてぇ〜〜〜〜

この前編集者の佐渡島さんと、この児童画展マンガについて話させてもらった。

1ページ目で何の話かがわかって、かつオチに興味がわくように出てきていた、という描き出しは褒めてもらいつつ、オチの部分について2つ指摘をもらった。

それで当初と描く予定だった話の順番を入れ替えたので、意識したことをメモしておく。

1、ちょっとメッセージわかりにくくない?

当初、伝えたいメッセージは「児童画展で”よい”とされるものと、図工美術の教科目標は価値基準が違っているので、学校は児童画展から距離をおくべき」としていた。

これってちょっと複雑だよね、ということだった。

美術は「わかりやすさ」に対抗する学問でもあるので、複雑なのは多少仕方ないとは思いつつ、できる限り一言で言えるようにしようと思った。

考えた結果、「目的にそって行動すべき」というメッセージが最重要なものとして分かるようにして、他の情報を要素として入れ込めばいいのでは、と考えた。

2、説教臭くない?

それで「目的にそった行動をしよう」をメッセージにしたわけだけど、じゃあ果たして僕がそれを言えるのか?という問題になった。

出来もしないことを説教臭く言われても共感しにくいよ、とのことだった。

たしかにその通りだと思った。

でも、「目的にそった行動をしなくても、まあ難しいし仕方ないよね」で終わらせたくはなかった。

・・・そこまで考えて、じゃあ

「目的にそった行動をしようと心がけるべき(今できてなかったとしても)」

というニュアンスなら共感してもらえるのでは??と考えた。


これを一番のメッセージにして、少し話の順番を変えた。

最初はこんなふうに描こうとしていた。


1、児童画展はヤバイところだ

(具体:審査基準の曖昧さ、審査長が絵を破ったりする)

2、でも児童画展の賞をたのしみにする人もいる

(具体:小学校の先生の話、妹の受賞の話)

3、だけど美術教育の目標はそうじゃないので、分けて考えた方がいい

(具体:大学で学んだ話)


それを、次のように変えた。

1、児童画展はヤバイところだ

(具体:審査基準の曖昧さ、根拠として大学で学んだ話)

2、その目的を見失った状態でいいという見方もある

(具体:小学校の先生の話、妹の受賞の話)

3、とはいえ目的を見失い続けるとマジで狂うので努力はすべきだ

(具体:審査長が絵を破る)


2パターン描いて比べたわけではないので、与える印象がどう違うのかは推測するしかない。

が、この審査長が絵を破った話はひさしぶりにRTしてもらったりコメントもらえたりしたので、多少共感してもらえたのかな、と思う。


工夫のおかげだとしたらうれしい。

明日ついに最終更新になる。

展覧会主義が終わって、児童画展が学校にとってどうでもいい存在になればいいのにな、と真剣に思う。

みんなにも読んでほしいですか?

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僕が有名になった後「秋野ひろは俺/私が育てた」と公言できるようになります。