仕事の報酬
最近、エモル図書館というYouTubeチャンネルで絵を描かせていただいた。
この仕事をいただくとき、編集者の佐渡島さんからこんなことを言われた。
「仕事の報酬は仕事だよ」
なんとなく、「手を抜いたものを出したら次のチャンスすら失われる。次の仕事をもらえるように努力しろよ」的な、戒めの言葉だろうなと受け取っていた。
ただ今回やってみて、そして次の仕事をいただいて(ありがとうございます!)、「報酬」と表現した意味が少しわかったような気がした。
その気づきを書こうと思う。
ちなみに、描いた分のお金はいただいており、やりがい搾取の話ではないので安心してほしい。
気づきを得た瞬間を書く前に、前提として説明しておくべきことがふたつある。
まずエモル図書館の脚本を書いている方について。
エモル図書館の脚本は全て同じ方がつくっている。
その生産スピードにも驚かされるが、それ以上に僕がすごいと思っているのは、作画担当に合わせて振り分ける脚本を選んでいるというところだ。
単純に、絵が上手い人のところによりウケそうなネタをまわすというのもあるが、それだけじゃない。
描き手のレベルに合わせて、指示の難易度を変えているのだ。
技量が低い人には具体的なシチュエーションや表情のイメージの指示まで丁寧に書いて送る。
逆に、少ない文面でも伝える意図を汲み取れる人には、あえて抽象的に説明して、描き手の表現力に委ねるようにしているらしい。
この脚本の振り分け方が説明のひとつめ。
ふたつめは、今の(と言わせてくれ)僕は絵がめっちゃ下手ということ。
脚本を振られるときは数ヶ月前の僕の絵を見て判断されたらしいので、今以上に絵の下手な奴と見られていたと思う。
そんなわけで、最初にリンクを載せた『麻薬でなぜ人は壊れるのか?』の脚本は、めちゃくちゃ詳細に指示を書いていただいていた。
そのおかげもあり、予定よりかなりの時間をかけながらも、一応完成し、公開してもらうことができた。
そしてその数日後、次の脚本をいただくことになったのだが、「仕事の報酬は仕事」という言葉を思い出したのは、それを読んだときだった。
その脚本は、明らかに前回より指示の量が少なかった。
希望的観測を含むにせよ、僕はそれを、「ある程度説明を省いても伝わる奴」だと思ってもらえた結果だと受け取った。
うれしかった。
新たにもらえた仕事自体が、前回描いた絵にかけた努力を認めてもらえたような気がした。
最初は「仕事の報酬は仕事」という言葉を遠回しな戒めと捉えていたが、ストレートにマジで報酬じゃんかと思えるようになった。
これが今回僕が得た気づきだ。
ちなみに指示が詳細でない分、今は「『闇の住人のイメージ』ってどうすりゃええんや!?」とかなり苦労している。
がんばるぞ。
僕が有名になった後「秋野ひろは俺/私が育てた」と公言できるようになります。