【定例議事録】あるべき打ち合わせとは

これは、やじまけんじさんと佐渡島さんの、「コッペくんの次の話をどんな内容にするか?」という打ち合わせを見学させてもらって、そこでの気付きをまとめたものです。(2020年10月23日)

「俺を鏡として使いなよ」

打ち合わせの最中、佐渡島さんが言った言葉だ。

鏡として使うとはどのようなことを指すのか。

僕はこんな風に受け取った。


1.自分の作品が読者からどのように読まれるか確認する。

これは純粋にマンガのフィードバックをもらうという意味だ。

どこが分からなかったとか、どのような感想を抱いたかを聞き、自分が描くときに意図したこととなぜズレたのかを確認する。

このやりとりを繰り返しながら修正することで、自分の伝えたいことを面白く伝えるマンガを作っていく。

僕は一般的に編集者と作家と聞くとこのようなやりとりを思い浮かべるのだが、どちらかといえばこの過程は、むしろマンガ家同士で行っていくべきことらしい。

言われてみて、今までたしかに感想を聞く相手として一番に佐渡島さんを思い浮かべてしまっていたが、そこには自分の中に「佐渡島さんからヒントを教えてもらう」という受け身な姿勢があったからだと思った。

2.自分がフォロワーからどう見えているか確認する。

1が作品と読者とのコミュニケーションのチェックだとしたら、こちらは自分自身と読者とのコミュニケーションのチェックだと言える。

どちらも自分の伝えた情報が相手からどう写っているかを確認するという意味では同じだが、SNSの場合一度言ったからといって伝わらない、見逃されていることの方が遥かに多い。

一定数の人々に伝えるために、どのような伝え方や発信量が必要なのかを相談させてもらうということだ。

3.自分の姿勢や課題観が、マンガ家を目指す人としてどうなのか確認する。

僕はこの部分が一番印象的だった。

というのも、例として、やじまさんや僕がやっている、ツイッターで載せている1ページマンガについて指摘されたからだ。

1ページマンガへの取り組みだけでも、どのような課題意識を持ってやっているかによって、それによってどのようなことを学べるのかが全然違う。

たとえば「ちょっとした情報をヒキのある語り口で伝える」「キャラクターの魅力を描く」などの課題観が共有されていたら、その観点から目標が達成できているかどうか、などアドバイスができる。

逆にそれを知らない状態だとマンガとしてどう楽しんだらいいのかもわかりにくいし、作者の意図と違う抽象的な感想が増えてしまう。

・・・とのことだった。


これは1〜3の全てに言えることだが、自分が何をやろうとしているか、を明確に持っていることが必要なのだと思った。

僕は佐渡島さんを鏡として使うような打ち合わせができていなくて、その原因は「自分がマンガを描くために主体的に学ぶ」という姿勢が足りていないからということだと思う。

何が自分に足りていないのかを把握し、着実に成長できるようにならないと・・・と良くも悪くも焦りを感じた。

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僕が有名になった後「秋野ひろは俺/私が育てた」と公言できるようになります。